大判例

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大阪高等裁判所 平成7年(ネ)3156号 判決

控訴人

甲野太郎

甲野春子

甲野次郎

甲野夏子

右四名訴訟代理人弁護士

出口治男

被控訴人

京都市

右代表者市長

桝本賴兼

右訴訟代理人弁護士

中元視暉輔

被控訴人

京都府

右代表者知事

荒巻禎一

右訴訟代理人弁護士

香山仙太郎

右指定代理人

後藤廣生

外一名

主文

一  本件控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一  申立

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らは、連帯して、控訴人甲野太郎に対し、金二五〇〇万円を、その余の控訴人らに対し各金八三三万三三三三円をそれぞれ支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  被控訴人ら

主文同旨

第二  主張

以下に付加訂正するほかは、原判決事実欄「第二 当事者の主張」のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決三枚目表一行目「伏見」の前に「京都市」を加え、同四行目「消防署員としては」を「右消防職員は、花子の足元から炎が一〇ないし二〇センチ上がっていたのに、応急消火をせずに約二分間拱手傍観し、右炎が消火された後は、花子の死亡を判定する権限もなく、かつ、花子が明らかに死亡していると判断される場合でもないのに、花子が死亡していると誤って判断し、」と、同五行目から六行目「があるのに、右消防職員は」を「に反して」とそれぞれ改める。

二  同裏一行目「本件現場」から同二行目「から、」までを削除し、同行「警察官は」の次に「、花子の死亡を判定する権限もなく、かつ、花子が明らかに死亡していると判断される場合でもないのに、前記消防職員の判断を鵜呑みにし、」を加え、同四行目「があるのに」を「に反して」と改める。

三  同五枚目表一行目「不法行為」を「国家賠償法一条一項」と改め、同一〇行目末尾及び同裏四行目末尾に、「花子は当時明らかに死亡していたものであり、救護義務は発生していなかったし、状況からしてそのように判断する合理性があった。」をそれぞれ加える。

第三  証拠

〈証拠略〉

理由

以下に付加訂正するほかは、原判決の理由欄のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決六枚目表一一行目「(一)」の次に「平成元年九月一六日二三時四九分ころ、山科警察署に、京都市伏見区の○○団地において人が燃えている旨の一一〇番通報があり、次いで同日二三時五〇分ころ、同市」を加え、同行の「平成」から同裏二行目「ころ、」、までを削除し、同三行目「が発令されたため、同人は」を「を受け、」と改め、同六行目「本件現場」の次に「付近の外環状線○○団地中央道路入口」を、同七行目冒頭に「指令場所の方向に向かったところ、」をそれぞれ加え、同行「ところ」を「のを発見し、これ」と改め、同一〇行目「Aは、」の次に「ちょうど」を、同七行目表一行目「放水して」の次に「同日二三時五五分ころこれを」を、同七行目「花子」の次に「のそばに寄り、両膝をついて、同人」をそれぞれ加える。同八枚目表七行目「耳」を「顔」と、同裏五行目「屈折」を「屈曲」と、同八行目「周囲の状況については」を「花子の周辺の草は焦げており、周囲には灯油臭が漂っていたうえ」とそれぞれ改める。

二  同一一枚目裏九行目末尾に次のとおり加える。

「そして、原審証人として、右に言う短時間について、控訴人ら代理人にも「ほぼ即死ないしは即死に近い状態」と受け取られるような、僅かな時間である旨証言し、また、この傷害が発生した現場で、もう死亡しているというような判断をしても間違いないと思う旨、証言している。」

三  同一〇行目「(一)」から同一二枚目表三行目「(二)」までを「以上のとおり認められるところ、控訴人らの所論に鑑み、」と改め、同一二枚目表四行目の次に、行を改めて次のとおり加える。

「(1) Aの拱手傍観行為の有無

控訴人らは、Aが、平成元年九月一六日二三時五三分ころに本件現場に到着していながら、同日二三時五五分ころまでの約二分間、花子の足元から炎が上がっていたのに拱手傍観していた旨主張しているが、前記1(二)、(三)のとおり、Aが二三時五三分ころ到着したのは本件現場ではなくその付近の外環状線○○団地中央道路入口であり、そこから本件現場に至り花子の足元の炎の消火活動をしたものと認められるから、右主張は失当である。」

四  同一二枚目表五行目「(1)」を「(2)」と、同裏七行目「(2)」を「(3)」とそれぞれ改め、同一〇行目「第三」の次に「、第九」を加え、同一三枚目表末行の「(3) 脈拍の状態」から同一四枚目表一〇行目末尾までを以下のとおり改める。

「3(一)  前記1の認定事実によれば、花子は、Aが既に同女は死亡していると判断した時点(平成元年九月一六日二三時五五分にAが花子の足下の炎を消火した後間もなくのころ)においては、客観的にも既に死亡していたものであるとみてまず間違いなく、また、それがその時点における医師による判断ではないところから、そこまで断定することには問題が残るとしても、翌一七日午前〇時三〇分ころ本件現場に到着したBの観察内容や同日午前三時五〇分から花子の死体検案が実施されたこと及びその際の岡野医師の観察とこれに基づく推察からすれば、Aらがその救護活動の実施に移る時間的余裕のない間に花子は死亡したか、または、Aが花子は既に死亡していると判断した時点においては、花子は最寄りの病院等の医療機関に搬送しても救命の可能性はなかったことが明らかである。

(二) もっとも、そうであるからといって直ちにAやBに救護義務違反がなかったといえるかどうかは別問題であるから、更にこの点について検討しておく。

消防法二条九項、三五条の五によって被控訴人京都市が義務づけられている救急業務は、災害による事故等による傷病者のうち、医療機関その他の場所へ緊急に搬送する必要があるものを、救急隊によって、医療機関その他の場所に搬送することである。その趣旨は、傷病者について救命の可能性があるかぎり、そのような措置をとるべきことを義務づけているものと解される。しかし、人の死亡についての最終的、確定的な判断は、もとより医師に委ねるべき事柄ではあるけれども、救急業務の現場においても、医師による死亡の判断が行われていないかぎり傷病者についてはすべて同様の措置を執ることを要するとすることも、妥当であるとはいえない。「救急業務実施基準について」(昭和三九年三月三日付消防庁長官通達、乙一〇)一五条が「隊員は、傷病者が明らかに死亡している場合又は医師が死亡していると診断した場合は、これを搬送しないものとする。」と定めているのは、その意味でやむを得ない措置として是認することができる。その場合、隊員が死亡しているか否かを判断するに当たっては、事柄の性質上、極めて慎重であることが要求されることはもとより当然であり、相当の実務経験を有する者により、判断の指針として示された一定の基準に則り、忠実にこれを履践して慎重になすべきことが、要請されているものといわなければならない。

(三) ところで、被控訴人京都市の「京都市警防活動規程」(乙六、一二)三八条一項には「救急小隊は、救急事故の状況に応じ医療機関その他の場所に傷病者を搬送するとともに救急活動の実施にあたっては適切な救急処置を実施しなければならない。」と、同三九条には「救急小隊が傷病者の搬送を行なうときは、次の各号の定める事項に配慮のうえ取扱うものとする。(3)現場到着時において傷病者が明らかに死亡している場合又は医師が死亡していると判断したときは搬送しないこと。」と定められ、同規程第三八条から第四七条までに定められた救急活動の実施に必要な細部事項として、前記救急活動等細部実施要綱(以下「実施要綱」という。)が定められている。右実施要綱二条一項には「救急小隊の行う救急処置は、症状の観察及び関係者からの事情聴取並びに応急処置とする。」と定められ、同三条には「観察は、応急処置を行う前に傷病者の症状に応じて、次の表の左欄に掲げる事項について当該右欄に定めるところにより行うものとする。」として、顔貌、意識の状態、出血、脈拍の状態、呼吸の状態、皮膚の状態、四肢の変形や運動の状態、周囲の状況の八つの区分を設け、各区分毎に観察の方法を定めている。

(四) 前記1の認定事実及びその認定に供した証拠によれば、Aは、昭和三九年に京都市消防士に採用され、再度の消防学校教官を経た後、昭和六〇年に消防司令に承認したベテランの消防職員であり、実施要綱の定めに則って観察を行った結果、花子は既に死亡していると判断したものであるが、実施要綱には、脈拍の状態の観察方法として「ア 橈骨動脈、総頸動脈又は大腿動脈等を指で触れ、脈の有無、強さ、規則性及び脈の早さを調べる。イ 前記の方法によっても脈拍状態が充分に把握できない場合にあっては、電子血圧計を用いて最高血圧、最低血圧及び脈拍の回数(回/分)を調べるとともに聴診器を用いて心音を聴取する。」と定められており、Aは右イの観察方法を実践していない。また、文献(救急救助問題研究会編著、自治省消防庁救急救助課監修「救急救助業務」、甲二一)には、「傷病者が明らかに死亡していると判断される場合とは、傷病者の体幹や頸部の轢断が確認された場合、死後硬直が認められる場合又は死斑の状況等からだれもが一見して死亡しているとわかる状態が考えられる。しかし、救急現場に救急隊が到着した時点では、一見して明らかに死亡していると判断しがたい場合が多く、そのように判断できる要素として、(1)意識レベルが三〇〇であること、(2)呼吸が全く感ぜられないこと、(3)総頸動脈で、脈拍が全く触知できないこと、(4)瞳孔の散大が認められ、対光反射が全くないこと、(5)体温が感ぜられず、冷感が認められること、(6)死後硬直が認められること、(7)死斑が認められることの七項目が考えられ、そのすべてが該当した場合は明らかに死亡していると見なすことができるが、その要素が一項目でも欠けた場合は、傷病者が仮死状態であるとの認識をもち、傷病者の救護を積極的に行うことが望ましい。なお、傷病者の観察にあっては明らかに死亡しているという先入観をもたず慎重に行うとともに、聴診器・血圧計・心電計等の観察用資器材を活用し、的確な傷病者観察を行うべきである。」との指摘があるが、花子の状態については、右のうち(4)ないし(7)の項目は確認されていないし、聴診器・血圧計・心電計等の観察用資器材を活用した観察も実施されていない。もとより火災等の事故現場における救急業務においては、その時々の状況による限界があると解されるのであって、いかなる場合においても、観察用資器材を活用した観察が行われても右七項目のすべてが確認されず、医師による死亡の診断もないかぎり、常に傷病者が明らかに死亡していると判断することはできないとまでは言い難いが、本件の場合、火災とはいっても花子とポリ容器が延焼のおそれのない屋外で燃焼したのみであり、その火勢も弱かったことからすると、消防隊員として求められる中心的業務はまさに花子に対する救急業務であったというべきであるから、Aには、人の生命の救護に携わる者として可能な限りの慎重かつ的確な観察及び判断を行うべき注意義務が課されていたものというべきであり、同人が前記1に認定の観察方法及びその結果のみにより花子は既に死亡していると判断したのは早計であって、万全を期して花子を最寄りの医療機関に搬送し、医師による生死の診断を求めるべきであったというほかない。

(五) しかしながら、既に述べたように、花子の状態からすれば、右Aの救護義務違反と花子の死亡との間には因果関係があるとは認めがたいし、Aの救護義務違反そのものにより慰謝料の請求が可能であるとしてみても、本件においては花子の死亡時期が極めて微妙であり、Aの過失も軽微であるというべきであるから、右慰謝料の請求もできないものというべきであり、結局、Aの救護義務違反を理由とする本件損害賠償請求は失当である。

(六) 次にBの救護義務違反について検討しておくと、警察官職務執行法三条は、警察官に、周囲の事情等から合理的に判断して負傷者等で応急の救護を要すると認められる者を発見したときは、とりあえず警察署や病院等の適当な場所においてこれを保護すべきことを義務づけている。そこでの応急の救護を要するか否かを、負傷者が既に死亡しているかどうかという観点から判断するのであれば、慎重な対処が要求されることは当然である。しかし、本件においては、先着した消防隊員の観察、判断が先行しているのであり、最初に現場に到着した警察官が、先着した消防隊員の、花子は既に死亡しているとの判断に信を措いて、直ちにその状態を観察することなく、現場保存のための野次馬整理に当たっていたところから、Bが到着した時点まで警察署員独自の観察が行われなかったこと(原審証人B)も、あながち無理からぬところであると思われる。前記認定事実及び既に述べたところに鑑みれば、Bが到着した時点において花子が生存していた可能性はほとんどなく、また、救急業務を重要な職務内容とし、そのための訓練を受けているAの判断を聞き、かつ、自らも観察した花子の状態が前記認定のようなものであったことからすると、花子が死亡していると判断して救護措置を執らなかった警察職員に救護義務違反があったものとみとめることはできない。

五  以上によれば、原判決は結局相当であるから、本件控訴をいずれも棄却することとし、民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 富澤達 裁判官 古川正孝 裁判官 塩川茂)

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